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2006年08月23日

ありがたい1ポイント

GT初めての1000kmレース、色々ありましたが無事終了いたしました!
パフォーマンス的に(車重が1200kg)厳しい#111ですが、1000kmコンスタントに走りきればいいポジションでチェッカー受けられかもしれないという淡い期待を胸に鈴鹿入り、今回は滑川選手が3rdドライバーで参加、出場を危ぶまれていた虚弱体質の飯島選手もとりあえずやってきました。中でも久々のレースで一番楽しそうなのが城内選手、ムード作りに余念がありません。
さてさて、あれこれを追っていくとかなり長くなるのでトピックスで幾つかご紹介しましょう、まず金曜日、天候が悪く降ったり晴れたりの繰り返しで終わってしまいました。
土曜日予選、スーパーラップ出場予定はないのでちょーお気楽、唯一のライバルはモスモスー、あっけなく惨敗すると(結構ショック)もう何もすることはありません。
日曜日決勝、スタートは飯島選手、虚弱なので20週で交代、本人は#70外国屋ポルシェと#9モスラーについていくつもりだったらしいですが置き去りにされちゃいました。
ところで、#111がヘヤピンで土屋武選手のスープラと絡んだ際に実況ピエールか解説のWケイイチ氏が「見てませんねー」とか言っていたらしいですねー、それを聞いて飯島選手は「見てるよ」と事情を説明してくれたので本当の解説しときますねー。
「まずヘヤピンの前から、つまりはデグナーの前から2台がバトルで迫ってくるのは知っていました。デグナー2個目を立ち上がってからずーッと左にウインカー出し続けてます。つまりヘヤピンへはインのまま行きますから右側をパスしてくださいと意思表示していました。イン側譲るのが普通と言われればそれもそーですがとにかく意思表示はしてるわけです。ただそれがスープラに見えたかどうかはわかりません。」ということで『見てるよっ!適当に言うナー』
『でも他のときは見てないこともあったから当たってないわけじゃないなー??』
ということでした。その後土屋選手は抜くときに煽るわけでもなく幅寄せするわけでもなくごく普通にパスして行ったそうです。曰く「君子危うきに近寄らず?」ということでしょうか。
まあそんなこんなでガッツ選手に交代、「ふつっうーにタイム出すのにドえりゃーガンバらにゃーいかん!」標準語に直すと「設定したタイムでコンスタントに走るためには限界近いところまで攻めないと難しいですね」ということでお疲れ様でした!で、滑チャン(ホネじゃないよ!ナメ)に交代、頑張れ若人よ、
後は任せた、とばかりに飯島選手は既に着替え終わり後点滴も済ませ、帰り支度にかかっています。
ガッちゃんはもう一回乗るので再度点滴ルームへ、ここで点滴のお話しておきましょうか、pokka1000kmとセパン、十勝24時間の3レースは点滴しながら走るチームが多いです。
当チームは点滴好きですから当然装備面でも充実、9号車田中先生のとこから看護婦さん2名スタッフ2名の4名が応援で来てくれて、いつでも点滴可能な体制を整えています、そして点滴もOPTINで追加する薬剤(以下おかずという)数種類用意されている豪華さ!おかずに詳しい松田選手の「○○○○入れるといいよー」というご指導のもと楽しい点滴タイムを満喫できます。で今回一番点滴に助けられたのが滑ちゃん、なんと5週くらいでクールシステム壊れたらしく、帰ってきたときには脈が200ぐらいあるんじゃないかというぐらい心臓バクバク、まともに喋ることすらできません、結構危ない状態でした、すぐさま点滴ルームへ運びこみ氷で身体を冷やすと共に即点滴で身体の中からも冷却します。で、すぐその横で松田選手は「滑川君もいい経験したなー」という感じの微笑みでお弁当食べてコーヒー飲んで点滴中!さすがベテランです。さてさてここで困った事態に、ガッツはもうすぐ降りてくる、滑ちゃんは当分回復しそうにない、とすると行けるのはすっかり帰り支度まで完璧に終わってくつろいでる飯島選手しかいません・・・
もちろんクールスーツは効きません・・・死んで貰いましょう、ということで飯島選手2スティント目出発~、以下本人による言い訳。
「クールスーツ効かないんで氷を背中と胸と首周りに入れてスタートしました。ダクトもつけえてもらい直接ホースをスーツへ差し込んで走るとなかなか冷えて気持ちいー。でもたまに外れてしまうので片手で何とか拾ってまた差し込んで、とやってるとそのうちヘルメットのかぶり方が悪かったのか右のこめかみが痛くなってきました。孫悟空が悪さした時の状態です。あまりの痛さに思わず止まって一回メット脱ごうかと思うぐらいの激痛、仕方ないので西ストレートで両手でヘルメット動かして当たらないようにして、また暫く我慢、そろそろ氷も溶けて暑くなりだしました、また頭痛も始まりだしました、残りも少ないのでガブガブドリンク飲んで身体を冷やします、ところが今度は飲みすぎで気持ちワルーくなってきて吐き気が・・・何とか我慢して生き返った滑ちゃんと交代、今度は自分が青白い顔で点滴ルーム、あれからずっとダルいんですけど・・・」
何はともあれ滑チャンの最後の好走でゴールを迎えるかと思いきや、直前でロアアームが折れてピットへ、そのままレース終了してしまいました。一応完走扱いで1ポイント獲得、1000kmへの参加を促すための大盤振る舞いとはいえ今のGTでポイントを得ることは至難の業、ありがたいありがたい1ポイントでした。

2006年08月11日

Rodeo Drive ”Challenge&Change” 

2002年のカレラカップジャパン、ワンメイクとはいえFF4気筒とは桁違いのパワーを誇るカレラカップポルシェ、1シーズンを共に戦い、多くが友人となり、同じクラブに集う仲間となった。
明けて2003年、ある者はスーパー耐久へ、またある者はGTへ、そして新車が投入されたカレラカップを継続する者、それぞれが行く末を見つめ、動き出した。
GTを選択した我々は、早速リアルレーシングの洗礼を受けることになり、ほかの道を選択した仲間たちとは異なる景色を見つめ始める。2004年 Team Rodeo Driveはスーパー耐久へ、体制はランキングトップを争うチームの2号車、オーナードライバーと友人+プロドライバーでのチャレンジだ。とは言えあくまでもEnjoy Racing!しかし・・・何かが少しずつ違い始めた、そして迎えたpokka1000km、ABSの不具合によりヘアピンでクラッシュ、車両は大破、失意のうちにシーズンを終えることになる。
Rodeo Drive Sportsチームとなった2005年、ホワイトボディから製作された32号車は新体制でスーパー耐久へ。メンテナンスはカレラカップでRodeo Drive号を走らせた老舗のポルシェガレージに託され、独自のノウハウによるエンジン製作やセッティングでレースを走り始めた。
初レースの富士ではクラス3位と表彰台に上る活躍を見せ、その後のレースでも独自のチームカラーで「エンジョイレーシング」を実践して見せた。
決してレーシーではないものの、独自の理論を展開するポルシェマイスター、夢があった。
2006年、今年も手作りで夢のあるエンジョイレーシングが鈴鹿から始まる、はずだった・・・。
しかし走り始めると2秒落ちぐらいならまだしも4~6秒も遅い、明らかに車が遅い、今年から参加したドライバーはカレラカップにも出場する選手、何かを探しに、期待を胸に、自分を試しに鈴鹿へやってきた、納得できなかった。「チャンピオンカーより速いエンジンだ!」事前に言われていた。レースをコントロールできるリーダー、車をセットできるエンジニアが求められ、エンジョイレーシングは急速にリアルレーシングの世界へ引きずり込まれはじめる。だが要求に答えられる者はいなかった、2003年JGTCでの我々のように。混乱はあったものの、それぞれがそれぞれに鈴鹿に想いを残しレースは無事完走した。Rodeo Drive Sportsチームは鈴鹿で「何をしなければいけなくて何をしてはいけないか」を知った。横浜に戻ってから次戦富士に向けての体制が何度も協議され「Challenge&Change」が再確認された。2003年別々の道を歩み始めてから3年、少しレースができるようになって帰ってきたARKTECH、リアルレーシングに足を踏み入れたRodeo Drive、仲間同士でまた同じ景色を見ることになった。

2006年08月02日

「求む!代行さん」ってことにならないよう

あまりに体調悪いので病院で「点滴一丁!プ○セ○タ入りねー」と景気つけて、ついでに「血液検査もしてねぇー」という具合に検査してきました。今朝ほど「どうよ?血のほうは??」と聞いたところ、「肝機能以上ですねー、とてもレースになんて出れる状態じゃありませんよー」、といきなりボディーブローをくらってしまいました。軽―く動揺しながら「また大袈裟な!」とジャブ出してみたら、「何々の数値が通常の○○倍、何々が○倍etc・・・レースなんか出たら下手すると劇症肝炎で死にますよ」とKOされてしまいました。ということでまた検査、暫く静養して回復に努めることになります。
基本は当チーム3名でいこうと考えています。まあ二人でも大丈夫なんですけが万が一クルースーツが壊れてもドライバーは最低集回数をこなさなければいけないので、戻ってきたら即病院送りなんてことも。そうなると一人のドライバーが残り最大4ステインと連続なんてあり得ない状態になってしまうので大事をとって3名ということになります。#110の場合は松田選手・菅選手・壷林選手、#111は城内選手・飯島選手・○○選手(近日発表予定)の3名、但しここで体の弱い飯島選手が欠場すると代わりの運転手、
代行さんを頼まないといけないですねー「代行さんを探せ!!」「代行さん急募!」「求む!代行さん」
ってことにならないよう頑張ります。頑張るといっても「肝臓ってうまいもん食ってごろごろしてりゃあいいらしいぜー」みたいな嬉しい話もありますが、これじゃダイエット的には逆戻りなので一個追加、(うまいもん食って)+(ごろごろして)+(散歩してタラ)=レバー元気☀、まさにタラレバです。
ところでついでに、3rdドライバーとして誰が何処に乗るか?興味ありますよね、今日聞いた噂を一つだけ、但し分からないようにイニシャルトークですよ、「テーハミング系Pに,SなこJ長」らしい・・・
「YO郷選手は・・・」

2006年08月01日

足がよぉー冷えてますわーガチガチ

風邪で倒れてました。。。今も喉が張り付く感じで痛い。。。倒れ始めはもてぎテスト2日目。。。
やめよかなーと思いながら最近ポルシェ乗ってないし、鈴鹿も近いからちょっと乗ってミヨーと乗ったのが間違いでした。なんて乗りにくいんでしょ、RRって911って、これレーシングじゃないんだよねぜーんぜん。で、そうそう、ダイエットしてまんねん、
ちょうど痩せ始めてきててあまり食べてなくて風邪気味で体力なくて、で前の日寝てなくて、で乗っちゃったのでくたびれ果てて降りてきたらもう頭痛&喉の痛み・・・結局帰りの車中も寝たまま、帰ってきても2日丸々寝たまま、久々によく寝た感たっぷりの週末でした。
テストは#110一台の予定だったのですが、「911マガジン」の取材で3Rも比較のインプレお願いしたいとのことで稀代のポルシェ使い松田選手が“MRとRRを乗り比べる”という企画で(多分ね)#111も引っ張り出しました。次戦からポルシェ全車1ランクリストリクター絞られてるなか、1番時計連発、テストとはいえ、やっぱり気持ちいいー。1日目の午後に#10田中哲也選手に負けたものの2日は2番手に1秒差をつけての総合TOP、久々に思い出していただけたでしょうか?ッて感じです。
レースリポートも上げねーで、なにもてぎテストとかいって先走ってんだょーとお叱りを受けてしまいそうですが、流れ的にもてぎのお話が出ただけで本当はテストの話じゃなくてダイエットの話、とりあえず74kgまで減量に成功!!ここ安定させて更に72kgに挑む予定です。とか言ってるとあたかもちゃんと努力してダイエットしてるみたいでしょ!? えへんっ!チャイまんねん、いいタイミングでうまい具合に下痢したり風邪引いたりしただけなんよねー、実は。そもそも3-4週間前に、JSMCもてぎが終わったありから「水風呂」によく入ってまして、実験してました。脂肪が多いと温まりにくくて冷めにくい、つまりオデブーは、一度脂身が冷えたら中々温まらない、だったらこの普段役に立たないアブラーちゃんをとことん冷やしたらスゴーく身体冷えるんちゃう?見事に冷えましたわー、いつものマッサージの先生に「足がよぉー冷えてますわーガチガチ」と言われ(注:決して誉めてはいない)、「これでpokka楽勝やんヶっ、乗る前にがちがちに冷やしていけばクールスーツいらん!」と、今まで体力を奪い取るだけだったアブラーちゃんを逆転の発想で見事味方につけての大勝利、のはずだったんですが・・・、新幹線のクーラーで風邪ひいちゃって・・・身体だるーくて・・・おなかゆるーくて・・・身体かたーくなって・・・大失敗、しかし、しかしです、ここは常にポジティブ前向き全開思考のこのわたくし、これを機に緊急ダイエットに作戦変更、現在連戦連勝大減量中です。このまま68kgまで一気に行っちゃおうかな、煙草も止められて、ダイエットもできて、なんと意思の塊のような人になってしまったー、と威張ってイバイバ君になってみたり、うそ、死に損なって煙草止めて、風邪引いてげっそりしただけの意志薄弱な弱いやわい奴なんですが、
運がいいんですかねー?、前向きなんですかねー?
煙草止めたい人、やせたい人、いつでも相談にいらっしゃーい、簡単ですよ(うそぴょん)