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2007年05月08日

「フリー走行でのシェイクダウン」は、あり

長い交渉の始まりだった。彼は迷っていた、既に第一ドライバーを光貞選手として発表していたDHG、契約はしていないもののこのままFORD GTにのることになるのか・・・・そんなときに突然のオファー,
「BOXSTERでクムホタイヤ開発」であった。話し合いは長時間におよんだ、一度は承諾したもの、納得できない何かがまだそこにあった。断るなら今日、今夜しかない、明日までは待てない、夜の10時、彼はチームからのオファーを断るために代官山へ向かった。

交渉は深夜まで、この日の話し合いは合計10時間以上におよんだ。
チームは鈴鹿合同テスト直前に光貞選手と契約を交わした、開幕戦の黒澤&光貞組が誕生した瞬間だった。
その後の鈴鹿、富士合同テスト、岡山と、110号車の開発スピードは驚くべきパフォーマンスを実現した。しかし一方では新車の製作の遅れが目立ち始める・・・・レースと開発作業、そして新車の製作をこなしレースでの成績をも残してきた、限界が近づきつつあった。新車製作の遅れ、それは最悪の場合テストなしでの本番シェイクダウンを意味する、111号車のパッケージもまとめなければならない、富士では光貞選手も111号車に返さなければならない。
流れを整理してシーズン中盤に向けてもう一度作戦を見直す時期に来ていた。
まず「新車黒澤ADVAN号」、チームとしては既にこの段階で富士戦前のシェイクダウンは現実的ではないという判断を下している。頑張れば頑張るほど救済の可能性がなくなり、昨年の13号車状態になりかねない。だからといってわざと順位を落とすレースは論外、「新車の本番シェイクダウン」という事態になれば自ずと結果は見えてくる、最善の努力をしたとしても10番手以内でフィニッシュできれば上出来、ロングをかけていない以上リタイヤしても不思議でない。「フリー走行でのシェイクダウン」はあり、富士で実戦テストを行いセパンと菅生で調整、pokka1000kmからリスタート、勝負をかけることになる。110号車には同じADVANを履くライバルが多い、なんといってもGT300 を支えているタイヤはADVANだ、13号車Z・2号車紫電・7号車セブン・62号車ビーマック・タイサン26号車である。開発車両の13号車を除いて富士では26号車、62号車が優勢、セパンでは圧倒的にセブン、菅生でもセブン、紫電はオールマイティで強い。そしてランボルギーニもいる、今後も110号車に競争力のあるタイヤ供給がされるのだろうか?「在庫がなくなったら?、同じスペックは継続生産されるのか・・・」、様ざまな不安がよぎり、疑心暗鬼になっていく・・・またコストの問題もある。確かなことは新車開発がスケジュール通りに進み、新しい110号車にマッチしたタイヤを見つけることができれば勝利への道は間違いなく開けるはずである。

当初「ADVAN黒澤」と「KUMHO光貞」はエントラントもメンテナンスを別チームとして、BOXSTER 2台がシーズンを争うシナリオでスタートした2台体制。開幕から2戦だけの黒澤&光貞組、関係者全員が了解済みで始まったはずの作戦が混迷の度合いを深めながらも何かに後押しされるように異なった方向へ状況は展開していく。結局さまざまな調整を繰り返しBOXSTER2台体制が決まったのはレース1週間前、実際にチーム関係者が第3戦富士の体制について正確な情報を得たのは搬入4日前だった。
2003年以来、特に2006年シーズンからは積極的なサポートを受け、BOXSTER躍進の大きな原動力の1つともなったADVANタイヤ、ましてやシーズン途中にタイヤが変ることなど通常考えられない。「富士でも良い結果が出せるようサポートする体制でいました・・・」というADVANスタッフの言葉に感謝、そしてあまりにも遅すぎた報告に対しても寛大な対応を頂いたことに心からの謝罪と感謝をいたします。

2007年05月06日

答えは明瞭だった「明日あいましょう」・・・・

事の発端は昨年の秋までさかのぼる。2006年秋、今年からトレーラーの牽引を行ってくれる友人と打ち合わせを兼ねて横浜で食事をした後だった。駐車場で車に乗り込む際にポケットから携帯を取り出すと1件の着信が表示されている、登録されていない見慣れない番号だ。そのまま折り返し「着信があったんですが」と告げると電話の向こうの相手は「クムホタイヤの○○です」と答えた。ちょうどその日は韓国からのお客さんが工場に来訪中、韓国GTに出場するために996CUPカーを買いに来ていた。韓国チームのオーナーは日本語がわからないため、韓国クムホタイヤのつてを使いクムホジャパンの○○さんがオーナーに同行してきたようだ。工場では担当者と996CUPの輸出手続を打ち合わせる一方、○○さんは監督とGTやBOXSTERについて情報交換を交わした様子、ちょうどそのタイミングでご挨拶の電話をいただいたようだ。電話では簡単な挨拶をするに留まり、そして関係は発展することもなく時は過ぎていった。
12月に入り交渉中であった黒澤選手との契約がまとまり2007年体制がスタートする。契約後早い時期からパートナーには光貞選手を希望する黒澤選手、チームとしてはまず光貞選手と会ってみることにした。年があらたまった1月、渋谷セルリアンタワーでの打ち合わせは思いのほか長時間におよび、互いの環境や将来に向けての展望を語り合い理解を深めることになったが、契約内容については基本的に合意に至らず、その後も交渉は継続するものの良い関係を築くに留まった。しかしこの時期重大な情報がもたらされる・・・「ポルシェ全車実質2ランクダウン、BOXSTERはさらに+50kg」そしてタイサンの復帰、ハンコックの997導入、はBOXSTERを取り巻く環境は2006年とは大きく様変わりすることは間違いない・・・先を読んで対応していかないと取り残され戦闘力を失うことになりかねない。そしてそれは3月の鈴鹿合同テストで現実のものとなった。セカンドドライバーが決まらないまま向かえた合同テスト、この時点で黒澤選手のセカンド候補は滑川選手と菊池選手に絞られる。合同テストの結果、+50kgのハンディとリストリクター径のダウンは予想以上のパフォーマンスダウン、というより13号車Z、101号車MR-S、43号車ガライヤ、など明らかに条件に恵まれた車や規制対象にならなかった88号車ムルシェ勢などに対抗できない、26号車タイサンポルシェもパワーを利して上位に顔を見せる。このまま策を講じなければ開幕前から勝負を失うのは明らかだ。開幕戦まで10日、もはや猶予はない・・・主に空力に絞って110号車をアップデイトするとともに秘策を選択することになる。
さてここで2月中旬に一旦戻ってみよう。チームと光貞選手との関係は以前平行線のままであったが、前出の「重大な情報」によってあるプランが別の方向へ動き始める。
110号車のパフォーマンスを上げるためには強いドライバーを2人揃えることが確実、チームとしては黒澤&光貞を実現したい、二人のドライバーも強くそれを望むものの条件面で折り合わない。そこで浮上したのが第1戦で関係者を驚かせた秘策だった。
まず第3戦から2台体制とし、110号車が新車へスイッチ、111号車は旧110号車の0号車を使用する作戦を立案。この作戦のメリットは本来第3戦から乗る光貞選手をレンタルする形で開幕戦から0号車で開発を進めることができるとともに、新車投入までの期間を黒澤&光貞コンビで凌ぎきれることだ。しかし当然のことながらこの時点では110号車も111号車もセカンドドライバーは決まっていない・・・ましてや光貞選手を111号車で走らせるパッケージなど現実には存在していなかったのだ。そこでさらに話は2006年の秋まで戻る、クムホジャパンの○○さんが通訳としてARKTECHの工場を訪れた際に、CUPカーの話の傍ら「監督とGTやBOXSTERについて情報交換を交わした様子」というくだりを読み返して欲しい、このときに監督から受けた報告の中で○○さんから「良かったら一度クムホタイヤテストしてみませんか?」というような会話があった旨の報告を受けていたことを思い出した。当時は社交辞令か世間話だと思っていたし想像すらできないことであった。
既に竹内選手が5号車マッハ号でクムホ継続という噂を聞いていることもあり、今更この時期にクムホタイヤが「光貞選手+BOXSTERのパッケージでタイヤ開発」というプランに興味を示すとも思えない・・・とはいえ話をしなければ何も始まらない、突然22時に我々からのメールを受けた○○さん、彼の答えは明瞭だった「明日あいましょう」・・・・

(続く)