« 答えは明瞭だった「明日あいましょう」・・・・ | メイン | 菅生から新たなテーマを掲げて »

「フリー走行でのシェイクダウン」は、あり

長い交渉の始まりだった。彼は迷っていた、既に第一ドライバーを光貞選手として発表していたDHG、契約はしていないもののこのままFORD GTにのることになるのか・・・・そんなときに突然のオファー,
「BOXSTERでクムホタイヤ開発」であった。話し合いは長時間におよんだ、一度は承諾したもの、納得できない何かがまだそこにあった。断るなら今日、今夜しかない、明日までは待てない、夜の10時、彼はチームからのオファーを断るために代官山へ向かった。

交渉は深夜まで、この日の話し合いは合計10時間以上におよんだ。
チームは鈴鹿合同テスト直前に光貞選手と契約を交わした、開幕戦の黒澤&光貞組が誕生した瞬間だった。
その後の鈴鹿、富士合同テスト、岡山と、110号車の開発スピードは驚くべきパフォーマンスを実現した。しかし一方では新車の製作の遅れが目立ち始める・・・・レースと開発作業、そして新車の製作をこなしレースでの成績をも残してきた、限界が近づきつつあった。新車製作の遅れ、それは最悪の場合テストなしでの本番シェイクダウンを意味する、111号車のパッケージもまとめなければならない、富士では光貞選手も111号車に返さなければならない。
流れを整理してシーズン中盤に向けてもう一度作戦を見直す時期に来ていた。
まず「新車黒澤ADVAN号」、チームとしては既にこの段階で富士戦前のシェイクダウンは現実的ではないという判断を下している。頑張れば頑張るほど救済の可能性がなくなり、昨年の13号車状態になりかねない。だからといってわざと順位を落とすレースは論外、「新車の本番シェイクダウン」という事態になれば自ずと結果は見えてくる、最善の努力をしたとしても10番手以内でフィニッシュできれば上出来、ロングをかけていない以上リタイヤしても不思議でない。「フリー走行でのシェイクダウン」はあり、富士で実戦テストを行いセパンと菅生で調整、pokka1000kmからリスタート、勝負をかけることになる。110号車には同じADVANを履くライバルが多い、なんといってもGT300 を支えているタイヤはADVANだ、13号車Z・2号車紫電・7号車セブン・62号車ビーマック・タイサン26号車である。開発車両の13号車を除いて富士では26号車、62号車が優勢、セパンでは圧倒的にセブン、菅生でもセブン、紫電はオールマイティで強い。そしてランボルギーニもいる、今後も110号車に競争力のあるタイヤ供給がされるのだろうか?「在庫がなくなったら?、同じスペックは継続生産されるのか・・・」、様ざまな不安がよぎり、疑心暗鬼になっていく・・・またコストの問題もある。確かなことは新車開発がスケジュール通りに進み、新しい110号車にマッチしたタイヤを見つけることができれば勝利への道は間違いなく開けるはずである。

当初「ADVAN黒澤」と「KUMHO光貞」はエントラントもメンテナンスを別チームとして、BOXSTER 2台がシーズンを争うシナリオでスタートした2台体制。開幕から2戦だけの黒澤&光貞組、関係者全員が了解済みで始まったはずの作戦が混迷の度合いを深めながらも何かに後押しされるように異なった方向へ状況は展開していく。結局さまざまな調整を繰り返しBOXSTER2台体制が決まったのはレース1週間前、実際にチーム関係者が第3戦富士の体制について正確な情報を得たのは搬入4日前だった。
2003年以来、特に2006年シーズンからは積極的なサポートを受け、BOXSTER躍進の大きな原動力の1つともなったADVANタイヤ、ましてやシーズン途中にタイヤが変ることなど通常考えられない。「富士でも良い結果が出せるようサポートする体制でいました・・・」というADVANスタッフの言葉に感謝、そしてあまりにも遅すぎた報告に対しても寛大な対応を頂いたことに心からの謝罪と感謝をいたします。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.arktech-japan.com/blog/mt-tb.cgi/43

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)