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2007年09月13日

110号車 西へ

昨シーズンからの傾向としてGT3Rに比べて最高速が若干劣る、立ち上がりの加速が遅い、という未解決の問題を持ち越していました。リストリクターが大きかった2006年は多くのライバル達に対抗できる十分なパワーを得ていたので最優先課題ではありませんでしたが2007年、昨年の開幕から2ランクダウンのリストリクター装着が義務付けられ大幅にエンジン性能が制限されることになりました。他のポルシェ勢は1ランクダウンなのですが、なぜかボクスターだけが+50kgのハンディウェイトを科されることに・・・
迎えた開幕前の鈴鹿合同テストでは大幅なパフォーマンス低下を余儀なくされ、対応策として「ダウンフォースアップにより旋回性能を向上させタイムアップ!」のための開発を急ピッチで進め、開幕戦では何とか結果に結びつけることができました。その余波を駆って第2戦でも
下位グリッドから表彰台圏内へのジャンアップ、一度はペナルティで(今でも納得していませんが)順位を落としたものの上位陣を抜き去り同一周回の戻ったその猛追は鬼気迫る渾身の走りだったともいえます。そして迎えた富士、ご存知の通り新車投入にタイヤメーカーの変更、ここから迷走が始まりました。一旦はJLMC菅生参戦により光が見えたかに思えた1号車ですが、セパンでのエンジンブロー、菅生での雨、満足なレースをさせてもらえません、そして鈴鹿1000kmに至っては111号車と2台ともにリタイヤ・・・
最高速を伸ばすたにダウンフォースをキープしたままドラッグを減らす、エンジンパワーのドロップを防ぐために吸気温度を下げる、この二つに大きな改善を加えて#110ボクスターをもてぎに持ち込みました。ニューバージョンのタイヤも投入、金曜日のフリー走行ではトップタイムを記録する好調な滑り出し、予選では第3ピリオドまで進出し6位を獲得、決勝へ向けてのセッティングも順調、日曜朝のフリーで最終的な調整を行い、勝利に向けてスタートを切りました。しかし・・・やはり加速は遅く、給油時間は50秒を越え、ピット作業で13号車に逆転されることに。計算では、3位まではとどくはずでしたが13号車を抜くのにタイヤを使ってしまい、4位のマッハ号に追いついたものの加速に勝る5号車をかわせず5位でフィニッシュしました。
結果は満足できるものではありませんでしたが、今の110号車にかけているものがはっきりしました。加速スピードと給油スピードです。現在加速については詳細なデータを重ね合わせて究明中、ほぼ、解答らしきポイントはみえつつあります、これが解決すればアンダーが消え、立ち上がりの加速が早くなり、本来のパフォーマンスを発揮することになるでしょう。それでもエンジン的には他のポルシェの1ランクダウンなので絶対値ではかないません。タイヤはかなり進化しましたがYHも鈴鹿からはNEWスペックのようです。まだまだです、ただ、今まだまだということは今後まだまだ進化するということ!
オートポリスへ向けてさらに頑張ります、110号車、西へ!


2007年09月06日

救済だらけ馬だらけ

今回のアップデイトのテーマはずばり「レスダウンフォース」、とにかくストレートは全然お話にならないくらい遅い昨今の110号車、当然エンジン屋さんに「エンジン遅いんだけど・・・」というと「馬鹿いってじゃねーよ!てめーんとこの車、あっちこっち色んなモン付けすぎてんから遅くなんじゃねぇーかよー、エンジンじゃなくってスピードがおせぇーんだよ!!」と言われ頭にげんこつ一発、ごつんと喰らってしまいました・・・
さらに「ダウンフォースダウンフォースって一人前のこといってんけど、全部ドラッグになってんじゃねぇのかー、どうなんだよー、」と更にお叱りを受けてしまい・・・内気な文科系サークルチームみたいな僕らはそのエンジン屋さんにタジタジ・・・しかしレース関係の人ってどうして皆さん口がっ・・・あっ、いけない、またサーファー風湘南ナンバーのエンジン屋さんに”げんこでごっつん“されちゃうからやめとこーっと。
こわいこわい。。。
なーんてことがあり、素直な僕らはすぐさま、その意見を受け入れることにしました。
ほんとは表面は超ナローボディ、裏面は超ダウンフォース発生仕様にしたいんですが、風洞をかけたこともなく、かける予定もなく、かける予算もなく、見よう見まねの自動車部的110号車、昔はお兄さんだったインド人風の顔をした器用なおじさんが一生懸命ファイバーを張り込んで、1プライだけのカーボンウエット貼り、暑いのにストーブで暖めて作った、およそスーパーGTにふさわしくないなんちゃってカーボン仕様、そんな僕らの大きな味方がハリハリカーボンシートをつくっているハセプロさん!なーんだ、これ貼っちゃえば簡単ジャン!とばかりに「ちょーだいちょーだい」攻撃でいっぱいハセプロさんからもらってあっちゃこっちゃに貼ってみては「わーいわいわい、本物じゃーん」と大感激、
そしてますます重くなって遅くなっていく110号車でした。。。カーボンといえば西のカーボンマジック、東のR&D、遠くから見たらうちのも同じ、「110号車、カーボン中身は、コンパネだっ!」「フラットボトム、よくみりゃ中身は全部アルミ板」だから遅いんですかねー、とまあ、話は戻ってレスダウンフォースになったわけです。もてぎから。
で、タイヤも変ります!変わらなきゃ!「#110オソクテ、カワイソウ、クムホガ、イイタイヤ、ツクッテアゲルにだ!」ということで初めてボクスター用に味付けしたタイヤが登場の予定、きっと辛いぜー、火ぃー吹くぜー、火傷するぜー、そんな凄いタイヤがやってきます!楽しみだなー、でもねー今日またブルテン出て、666周防チームも11ゲイナーもまた更に救済だってさぁー、救済だらけ馬だらけ、うちの車はドラッグだらけっ!!!!
ガヤルド救済は賛成、どうせ救済するならもっと前からしとけばいいのに、しないなら最後までしなきゃいいのに、流石だねーGT-A、様子見ながら抜群のさじ加減、110号車も仲間に入れてよー、さじ投げっぱなしじゃーん、いろいろ加減してー、減だけしてー
まぁ、ボクスターに+50kg、いいとこついてんなー
でも僕たちまけないよー、見ててねおじさん達。


2007年09月05日

何処の誰かは知りませんが

工場からの帰り道の中央道、局地的な豪雨でしょうか、ルーフを叩く雨音はドラムのように響いてます。皆さん60kmぐらいで安全運転しているなか「ぜーんぜんへーきッ!」「ハイドロさんいらっしゃーい」ぐらいの勢い、速度差100kmぐらいでズルズルしながら走っていく車、危ない危ない、事故でもおこさなけりゃいいなと思いながら見送りました。
暫くすると遠くのほうでこちら側にライトを向けている車が1台!?、えっ、逆走?と思った瞬間その車はクルリと向きを変えトロトロと本来の方向へ、走り始めたようです。
近づいてみるとその車はやはり先ほどの無謀運転の車、赤いポルシェでした。
しかし何かが可笑しい、フロント左側のタイヤはまっすぐなのに右側のタイヤは有り得ないぐらい右に切った状態、ホイールの内側が見えそうな、パンチラ状態です。
車はガコガコと音を発しているに違いない様子でのろのろとPAに入っていきました。
後ろから見ると品川ナンバーの赤い車のエンブレムは 968と書いてあります・・・なるほど、これで明らかになりました。フロントエンジン4気筒のポルシェ968だったのです。怖いもの見たさで少し離れてついていくと、雨が凄いので実際の音はわかりませんが、漫画なら吹き出しに「ギッタンバッコン」とかならず入ってる感じがする動きです。
SAエリアの奥のほうに車を止めたドライバーは電話を始めました。聞こえてくる話を聞くともなく聞いていると・・・「ウインドウ汚れこびりついてて路面よく見えなくてさぁー、ハイドロになっちゃって、一瞬で中央分離帯にヒットしてアーム折れてスピンだよー、
向変って後ろ向いたままガードレールにホイール擦りながらバックしてって暫くして止まったよー、イメージで言うとさぁー、鈴鹿の2コーナー立ち上がって濡れた縁石踏んでインマキして内側のタイヤバリヤに当たってさらにガードレールにホイール擦って止まって車体に赤と緑の線入っちゃってがっくりー、みたいな感じ!まーレースだったらすぐ無線で『アーム折れてスピンー!!フロント右っ!どうなっての!!!!』とか言って不機嫌な振りしてとりあえずごまかす?でしょう?、そんな事なんで、すぐローダーで来てねー、待ってまーす」といってトイレに行ってしまいました。よくわからない話ですが、要約すると、無謀運転の車がハイドロプレーニング現象でハンドルを取られて分離帯にぶつかり右前の鋳物のAアーム後ろ側がバックリ折れてスピンしてバックする形で進行方向滑っていきやっと止まった後、高速道路上でUターンをして再度低速走行で走り始めたSAエリアまで辿り着いてまもなくどこかの工場からローダーがきてその車を積んで去っていきました、という事のようです。。。
その車のドライバーはローダーの人に能天気にこういってました・・・
「いやーレース経験なきゃパニクってどっか飛んでるよねー、でも普通だったらこんな雨でスピード出さないもんねー、♪難しい問題だ!、FFだったら何とかなったよなー♪」

このお話でお分かりかと思いますが、一歩間違えれば、多くの人を巻き込んだ大事故にもなりかねない危険な状態でした。人間ついつい油断したり、思い上がったりしてしまうのです。
これを慢心といいます。まさにこの赤いポルシェ968に乗った運転手さんは慢心していたのでしょう、きっと自動車の運転以外にも、仕事でも、お付き合いでも・・・・
でも最後にこの運転手さん、家族に「ちょっと車調子悪くなったから石川SAに止めてメカに取りに来てもらうことにした、雨強いから運転気をつけてね、ゆっくり来てね」と余計な心配をかけない気配りを見せながら、お迎えを頼んでいました。
何処の誰かは知りませんが、ちょっと勘違いしているようですが、まだ人としてやり直せるような、人様に迷惑だけかけて終わるような、そんな人ではないような気がしました。

私も、「人の振りみて我が振り直せ」と、「やっぱりレインのW3はダメだ」と、心に誓い、お迎えのくるま、FFのA200で帰途についた次第であります・・・
(このお話はフィクションです)

いやー皆さんいろいろスミマセン、反省してます。もてぎがんばります。


もう一度総天然色で

8月のある日。。。

久々にレース以外の仕事でお酒を飲んで帰宅しました、CSTVのスイッチを入れると昔の音楽CDを販売する番組がオンエアー中、口ずさんでいるうちに昔の歌が聞きたくなりサザンのCDをかけてみました・・・・酔いも手伝って普段ほとんど想い出すこともない遠い記憶、甘酸っぱい記憶が甦ってきました。1978年、御茶ノ水の○○学院という学校に通っていました、戦前からの建物が今も残っている(戦時中は接収され東京ローズが反戦放送を行った場所でもあります)由緒ある学校で、今でもその学舎はときおりドラマのロケにも使われていたりします。多くの文化人を輩出し、米米クラブの石井さんも同時期に在籍していたような気がします。非常に自由を重んじる校風のため、生徒はある意味変わり者が多く、よく言えば「エッジ」、悪く言えば社会の「はみ出し者」的な若者が多く在籍していました。近くには檸檬(レモン)というカフェがありよく学生が集っていました。
僕はその学校で教科書には必ず載っている「荒城の月」の作詞をした文化人の孫という女性と知り合いになり付き合っていました、他にも重光首相の孫とか何とかの孫とかが多く今で言うセレブっぽい人がたくさんいました。モデルや芸能関係の人も多く、なかでも今から30年前にもかかわらず持ち物は全ヴィトン、冬は毛皮という男子生徒がいるぐらいの変った学校でした。もっともそういった人たちとは別の僕の仲間グループは、ごはんは庄屋の定食、洋食ならバンビとかジローとかが精一杯の庶民派でした、さてそんな日々をすごした3年の月日の中で30年ぶりに思い出した人がいます。一人はごめんなさい、名前は思い出せません・・・
でもファッションはハマトラ風でとっても可愛いの人、この人に僕は今風に言えば告られたのです、当時僕には先ほどの彼女がいて廻りも皆知っていたのでどうすることもできませんでした。「可愛いな、申し訳ないな」と思いながらも、さほど器用でもない10代の少年だった僕は気の効いた言葉もかけられないまま、卒業を迎えてしましました。
そしてもう一人、この人の名は何故かちゃんと覚えています、大○京子さん、友達には「藪、ヤブ」って呼ばれていたと思います。歳は一つぐらい上だったか、小麦色のキュートな子でした、顔見知りではあったものの、会話は挨拶程度ですが、何となく気になり彼女がキャンパスにいるときには必ず目で追ってました・・・でも結局は彼女のことはよく知らないまま、ハマトラの彼女のこともよくわからないまま、学校を卒業し、淡い思い出が今甦ってもなす術はありません。でもきっと良き妻となり良き母になっていることでしょう。もう会えることはないけど、、、きっと街ですれ違っても気づくこともないけど、ただ、佐野元春のアンジェリーナや、高中正義のジョリージャイブのビートのって彼女たちのあどけない微笑を何十年かぶりに思い出しました。

ひとつ今願いがあるとすれば、
当時流行った大滝永一の詞のように、
もう一度総天然色で彼女たちの笑顔を見てみたい。
「想い出はモノクローム、色をつけてくれ」 だね!