« 菅生から新たなテーマを掲げて | メイン | 何処の誰かは知りませんが »

もう一度総天然色で

8月のある日。。。

久々にレース以外の仕事でお酒を飲んで帰宅しました、CSTVのスイッチを入れると昔の音楽CDを販売する番組がオンエアー中、口ずさんでいるうちに昔の歌が聞きたくなりサザンのCDをかけてみました・・・・酔いも手伝って普段ほとんど想い出すこともない遠い記憶、甘酸っぱい記憶が甦ってきました。1978年、御茶ノ水の○○学院という学校に通っていました、戦前からの建物が今も残っている(戦時中は接収され東京ローズが反戦放送を行った場所でもあります)由緒ある学校で、今でもその学舎はときおりドラマのロケにも使われていたりします。多くの文化人を輩出し、米米クラブの石井さんも同時期に在籍していたような気がします。非常に自由を重んじる校風のため、生徒はある意味変わり者が多く、よく言えば「エッジ」、悪く言えば社会の「はみ出し者」的な若者が多く在籍していました。近くには檸檬(レモン)というカフェがありよく学生が集っていました。
僕はその学校で教科書には必ず載っている「荒城の月」の作詞をした文化人の孫という女性と知り合いになり付き合っていました、他にも重光首相の孫とか何とかの孫とかが多く今で言うセレブっぽい人がたくさんいました。モデルや芸能関係の人も多く、なかでも今から30年前にもかかわらず持ち物は全ヴィトン、冬は毛皮という男子生徒がいるぐらいの変った学校でした。もっともそういった人たちとは別の僕の仲間グループは、ごはんは庄屋の定食、洋食ならバンビとかジローとかが精一杯の庶民派でした、さてそんな日々をすごした3年の月日の中で30年ぶりに思い出した人がいます。一人はごめんなさい、名前は思い出せません・・・
でもファッションはハマトラ風でとっても可愛いの人、この人に僕は今風に言えば告られたのです、当時僕には先ほどの彼女がいて廻りも皆知っていたのでどうすることもできませんでした。「可愛いな、申し訳ないな」と思いながらも、さほど器用でもない10代の少年だった僕は気の効いた言葉もかけられないまま、卒業を迎えてしましました。
そしてもう一人、この人の名は何故かちゃんと覚えています、大○京子さん、友達には「藪、ヤブ」って呼ばれていたと思います。歳は一つぐらい上だったか、小麦色のキュートな子でした、顔見知りではあったものの、会話は挨拶程度ですが、何となく気になり彼女がキャンパスにいるときには必ず目で追ってました・・・でも結局は彼女のことはよく知らないまま、ハマトラの彼女のこともよくわからないまま、学校を卒業し、淡い思い出が今甦ってもなす術はありません。でもきっと良き妻となり良き母になっていることでしょう。もう会えることはないけど、、、きっと街ですれ違っても気づくこともないけど、ただ、佐野元春のアンジェリーナや、高中正義のジョリージャイブのビートのって彼女たちのあどけない微笑を何十年かぶりに思い出しました。

ひとつ今願いがあるとすれば、
当時流行った大滝永一の詞のように、
もう一度総天然色で彼女たちの笑顔を見てみたい。
「想い出はモノクローム、色をつけてくれ」 だね!

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.arktech-japan.com/blog/mt-tb.cgi/49

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)